深い扉を開ける
まなゆいインストラクターののりPです。
今日はお雛さま。(もう昨日になってしまった…。)
子どもの頃、私の実家では、米粉でおこしものを作り雛さまにお供えするのが習慣でした。
学校から帰ると母がおこしものを作っていて、見ていて綺麗で楽しくて、よく一緒に作りました。
出来立てのだんご餅はふかふかで温かくて美味しかった〜。懐かしいものです。
私は懐かしい思い出に、色と香りがともなっています。
そして、その香りをたどっていくと、
その時の感情とか感覚が呼び起こされてきます。
不思議です。
もう忘れてしまったことも、
いろんな感情とともに思い起こされる…。
人は忘れるから生きやすくなるのでしょうね。
特に嫌なことは封印してなかったことにする。
そうでないと辛すぎるから。
辛すぎる過去に浸ってしまうと、
身体も凍りつきます。
身体学校固まって呼吸もできません。
そんな感覚、もうとうに封印していた私。
先日、ある施術を受けてこの凍りつき固まった、
深〜い重〜い扉を開ける🚪ことができました。
それもいとも簡単に。
はじめは仕事を先送りにする癖を治したい、という言葉だったのに、
それにまつわって深い深い感情はといえば…。
なんと、母がいつも夜なべして内職をしていた頃を思い出したんです。
私が寝入って夜中に目がさめると、一緒の布団で寝ていた母は必ずいないのです。
襖の隙間から灯りが見えていてそっと覗くと、そこで内職をしてたんです。
いつ寝ていたのかな〜?と不思議なくらい働き者だった母親。
いつも周りに気を使って小さくなって言いたいことも言えず
そっと私に愚痴を言う、そんな昭和の時代を象徴するような人でした。
私は当時あんまり覚えていませんが、
母親が何度も入院してお家にいなくて大変寂しい思いをしました。
また、大きな怪我をした時には私一人しかお家にいなくて、
救急車で運ばれていく母を別の存在のように傍観していました。
大量出血の大怪我でしたので、
感情が出せることもできないくらい驚いていたんだと思います。
正しくサバイバル脳🧠が活性化しておりました。
母親は大好きでしたが、よく働きよく病気をして入院して、
本当によく祖母からたぶん虐待まがいな目にあっていたと思います。
私は反面教師として母親を大好きだけれど大嫌いと認知したようです。
頑張っても認められないし、家族でイジメられる。
おまけに大怪我はする。
そんな風になりたくないです。
で、私は母親とは全く違う、働くお母さんになりました。
看護師として社会的にもお仕事があって、お家に閉じこもっていなくてもいい。
お仕事に出られたら、あんなにお家の中でイジメられることはないと思ったんです。
自分の居場所ができると思っていました。
晴れて看護師としてバリバリ働き、子どもも育ててきましたが、
仕事があれば居場所がある、とは言いきれないんだな〜と今は思います。
やっぱり、自分のことが認められない限りシンドさは追いかけてくるんです。
いろんなことがあり、今、ずいぶん自分を客観視できています。
で、最初のテーマ仕事を先送りにする癖を治したい、
にまつわる深い足枷の感情とは、母親への思いだったんです。
母親とは、苦労しても足を引っ張られてもそれでも耐えていく女性。
大変な思いをしても耐えて忍んでいける人…と自分で設定してしまったようです。
だから、母親になった私はなぜか苦労が追いかけてきた感じだったんです。
思いもよらない展開にビックリ‼️
母親のこと、ずいぶん乗り越えてきたのにね。
そんな風に小さな私が自分でそうなる設定したなんて…。
小さな頃はあんまり無頓着だから、大人たちの意識がなんでも入ってきちゃうんでしょうね。
まあ施術中、わけわからないことを言って、身体の力も抜け、
また今までの設定を辞めると決めたら身体の力も入ってきました。
筋肉や背骨の位置も体重のかかり方も変化しています。
グランディングできてきたようです。
心を解放しただけでね。
話すは離す放す。
身体から嫌な感情が抜けていく…。
やっぱり心に貯め語があると元気でないですね。
なんでもブツブツ言うのが心のガス抜き、いい風を流してあげましょうね。
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